特集 多様な分野で働く保健婦
[インタビュー]世界に飛躍する保健婦
ハワイ大学大学院でわが国のもう1つの歴史を学んで
土屋 紀子
1
1国立公衆衛生院公衆衛生行政学部研究課程
pp.557-559
発行日 1991年7月10日
Published Date 1991/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900271
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ブラッシュアップするリサイクルシステム
本誌 土屋さんは,昨年の秋にハワイ州立大学大学院を卒業し帰国されましたが,ハワイへ行かれる前は,何処で仕事をなさっていたのですか。
土屋 私は昭和41年に保健婦になってから,郷里の群馬県の病院で5年間,主として政府管掌保険者の労働衛生,健康診断,健康相談およびそのフォローアップの保健婦業務をしていました。それから,北里大学病院に地域総合医療を目指す健診センターができるということで北里大学に移り,成人病予防を目指した人間ドック等の保健指導に力を注いできました。その間に,産業衛生の担当者と共に保健指導をするとか,地域の保健教育を広域事業として実施してきましたが,10年たった時,保健婦として視野を広め,自分自身をブラッシュアップしたいとの思いが募りました。それで,立教大学の法学部へ社会人学生の3回生として入学しました。保健婦は政治,法律を知ることが大切と,法科を選びました。
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