特集 保健医療制度の再編と保健婦活動の課題
第19回自治体に働く保健婦のつどい集録
分科会
母子保健充実のための仕事づくり
山本 裕子
1
1代々木病院
pp.568-576
発行日 1987年7月10日
Published Date 1987/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207349
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司会 それでは,第1分科会を始めていきたいと思います。まず,昨年の12月に国会で,母子保健法が改正(私は改悪と考えていますが)され,国の機関委任事務から団体委任事務に変わりました。その辺の動きを山本さんに簡単に説明していただいてから,進めていきたいと思います。
山本 保健婦とは,母子のことに関して働きなさいといって置かれた職種で「健兵,健民政策」の中で誕生した職種です。昭和16年,政府の政策の中で置かれた職種だから,非常に働きやすく,国家政策に乗って働けたんですね。それから後も,私たちは母子のことに関しては一生懸命やりました。それで,乳幼児の死亡率は激減したんですね。沢内村では,チベットじゃあるまいし,日本の中でこんなに乳幼児の死亡率が高いというのは恥ずかしいことだから,自分たちの村は自分たちで守りましょうというので,深沢村長が保健婦を増員して乳児死亡率ゼロという記録を出した。誰がしたかといえば保健婦です。それで昭和37年に保健文化賞を取ったんです。それで,昭和41年に母子保健法が作られたんですね。しかし,昭和41年には,いままで8/10国が持ち,2/10を県が出していた母子の予算を,国が2/3に,県が1/3にして,国の負担をグッと下げたんです。そして,そのときに保健所の保健婦を2名ないし3名残して,あとは全部市町村に下ろすというものを一緒に出したんです。
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