連載 開拓保健婦に看護のルーツを探る・14
生命をつなぐ食生活の支援から
小島 ユキエ
pp.304-305
発行日 1987年4月10日
Published Date 1987/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207310
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生命をつなぐ食生活から手をつけた
昭和23年5月開拓保健婦になった大橋美江さんは,厚眞林を振り出しに北海道の戦後開拓を代表したような根釧原野の標茶町に駐在しました。しかしその面績は1,107.45平方キロ(東京23区の1.85倍)と膨大です。しかも標茶町には1人も保健婦はいないため開拓保健婦の本多ちゑ,高橋房枝両氏と大橋さんの3名で地区を分担しました。虹別,計根別,御率別,久著呂が大橋さんの担当になりましたので担当地域は一番広大でした。
虹別は標茶町と別海町の間にありながら,標茶市街まで27キロもあり,開拓地を歩くにも根室支庁の管轄道路を通ったり釧路支庁の道路を通ったりという大変不便な地域でした。それは標茶町全体どの地域も傾斜の激しい原野なので不便なのは共通です。
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