特集 国保保健婦の40年
住民の生活実態と国策との狭間で
国保保健婦の歩み—行政的位置づけと活動の変遷を追う
大坂 多恵子
1,2,3
,
松井 宣子
4
1仙台基督教育児院
2仙台乳児院
3母子健康センター連合会・前厚生省地域保健課指導室
4健康保険組合連合会保健医療部・前厚生省保険局医療課
pp.178-217
発行日 1986年3月10日
Published Date 1986/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207131
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1.国民健康保険法制定と時代背景
昭和4年,アメリカから始まった世界経済恐慌は我国の経済にも波及し,昭和5年以降農山漁村に深刻な経済的疲幣をもたらした。それは自作農であると小作農であるとを問わず,農村一般に著しい収入減を来たし,結果として農民の医療費の負担はその生活に大きな圧迫を加えた(表1)。国民健康保険制度の立案に至る動機は,まさに農山漁村民の生活に重圧を加えている医療費負担を保険制度の形式で緩和しようとしたことにあると言えよう(注1)。
つまり国民健康保険制度の第1目的は医療費負担問題の解決であった。この主目的が達成されれば,国民生活の安定や医療機関の偏在を是正し,かつ国民の保健状態を改善向上する事が出来るという大前提があった訳である。この目的を達成する為に,当時"郷土的に一致団結し,隣保相扶の美風を有し,保険の根本精神たる相互扶助の精神"を受け入れ易い町村を単位に,任意の自治的な組合を組織し,経営させて行こうとして,昭和13年4月から国民健康保険制度が発足した。時あたかも我国は戦時態勢に突入しており,健民健兵〔壮丁(農村の若者の)の体位向上〕政策の一環としてもこの制度が陽の目を見たのではなかろうか。
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