連載 活動の中から
M君と,ともに
吉田 幸永
pp.110-111
発行日 1983年2月10日
Published Date 1983/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206627
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障害児をもつ両親と福祉の原点にたとうとする保健婦が最初にぶっつかる壁は,保育所入所の壁である。
M君6歳は重症の心臓障害児である。M君との出会いは生後2か月の乳児クリニックであった。大勢のお母さんにまじって,いちばん後から入ってきた母親のK子さんは,まわりの目を気にしながらM君の胸をソッと開いた。ひどくへこんだ胸部をみた私はハッとし,肌着のまま計測をすませ,数日後M君を訪問した。K子さんは私の顔をみるなり「わたしたちはまわりの猛反対をおしきっての,いとこ結婚なんです。だからこんな子がうまれたんだと,みんなから言われて……」うっ積していた悔やしさを吹き出すように話し激しく泣いた。障害児をうんだ母親は,みんな,みんな,ひとりで苦しみ生まれてきた子を道ずれに死を想いながら生きているのだ。寒くなるとひんぱんに発作がおこり,たまりかねた父親が酸素ボンベの用意を,と役場へとびこんできたこともあったし,洗濯機の水槽へはまりこんで,もとへもどらないという電話でとんで行ったこともあった。
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