特集 "共に生きる"を実践して
ボランティア保健婦の大きな足跡
愛知県刈谷地区での障害児と保健婦
"障害児を守る会"の活動によせて
こどもがお世話になって
長谷川 光枝
1
1ひかりの家
pp.345-346
発行日 1982年5月10日
Published Date 1982/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206514
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私が《ひかりの家》の門戸をたたいたのは昭和54年の9月で,発育遅延の次男雅をおんぶしての訪問でした。市の保健婦さんの紹介で施設見学をしたのがきっかけで,翌年4月入園させていただきました。その頃の雅は3歳と3か月で,這うことはできましたがまだまだ寝ころんだ状態で遊ぶことが多かったようです。わが家には姉と兄がいますが8〜10歳の年齢差があり,昼間は私と雅の2人だけの静かな生活でした。入園当時は,園での生活がにぎやかすぎて,又なれない部屋で落ちつかなかったのでしょう「メソメソ雅」と呼ばれるほどの泣き虫さんでした。お世話になって1年半,先生をはじめ奉仕の方,職員の方達のご指導でお友達の中で心身共にたくましくすばらしい成長をいたしました。できなかったことが一つずつできるようになり,顔の表情が豊かになり,又わずかではありますが,自我意識,仲間意識も芽生えてきました。集団生活でなければ学ぶことができない数多くの事柄に接して,体験を通して成長した子供達を見るにつけ,守る会の存在に感謝すると共に,すばらしさを感じます。
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