特集 東京・江東区における障害児の地域ケア
わが子の幸わせを願って
中島 栄子
1
1江東区障害幼児問題連絡会事務局
pp.44-45
発行日 1981年1月10日
Published Date 1981/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206335
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"障害児",何という哀しい言葉でしょうか。昭和44年4月22日3290g,待望の女の子の誕生でした。順調に育ち,8か月の頃にはものにつかまって立ち上がるようにもなっていました。そんなある日,3日間の高熱が続きました。近くのお医者さんはハシカじゃないかと言って治療してくれましたが,そうではなかったようです。熱が下がった後もフラフラしてなんとも心もとなかったので大きな病院に連れていって検査をしてもらいました。すると脳波に乱れがみられると言われました。
罪も汚れも知らない,かわいい盛りの子が人生の重荷を背負って生きていかねばならないことを考えると,私は将来を考えて眠れぬ夜が何日も続きました。でも,一日一日と成長していく子供の姿を見ると,子供こそ生がいと胸にきざみ,せいいっぱい努力しようと心に誓ったのです。
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