婦人ジャーナル
わが子に言葉を
山主 敏子
pp.57
発行日 1971年12月1日
Published Date 1971/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204290
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"私はねこになりたい。ねこは勉強しなくてもいいし,お母さんにぶたれないし……"と言って泣いた女の子,この子は生後9か月のとき重い肺炎にかかり,命だけは取りとめたものの聴力を失ってしまった。口のおそい子だとばかり思っていた母親が,はじめてわが子の異常に気づいたのは,1年3か月のときだった。ワラにもすがる思いで,あちこちの病院で聴力テストを受けた。両耳とも84デシベルで,病名は神経性難聴,この宣告を受けた時母親には絶望の中から闘志がわき起った。
"この子を一人前の人間として成長させよう。そのためには私は鬼にならなければならない"。母親はそう思った。3歳の時96人中8人という難関を突破して国立東京教育大付属聾学校へ入学,母がつきそっての通学が始まった。
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