発言席
ありのままにとらえること
川島 みどり
1
1東京看護学セミナー
pp.705
発行日 1977年12月10日
Published Date 1977/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205919
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対象である人々を"ありのままにとらえること"から,看護の実践が始まることは,誰でも認めていることである。だが,口で言うほど易しくないのがふつうである。とくに,時間に追われていたり,多勢の人を対象にする場合など,相手の"ありのままの姿"は目に入らず,保健婦や看護婦の主観や価値観が,対象を歪めてとらえていることに気づいてハッとさせられることも少なくない。
先日,訪問看護事例を検討したときのことである。その老人は共働き夫婦の留守宅に一人で寝かされていた。訪問者の印象として「その老人は冷遇されている」と語られた。その理由は「冷えた御飯と冷えたおかずが皿に盛られ,ガスは元栓が止められていたから」という。老人が「8年間,昼はひや飯で馴れている」と言った言葉が,冷遇という印象につながった。だが,片麻痺があってつたい歩きのやっとできる老人に対して,共働きの嫁が昼御飯を8年間用意して出掛ける苦労も並大低ではない。ガスの元栓は安全のためにそうしているのであり,意地悪のためとは思われない。せめて飲みごろのあたたかい湯茶をポットに用意してもらうアドバイスの方がこの場合適切なのではないだろうか。冷遇されているという偏見からこの家族に接しても,訪問の効果はあまり期待されないように思う。
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