特集 はだしで濶歩!それが支えの人生街道—仲よし会(愛知県)の活動から
"やるらあ"おばさんとの出会いと仲よし会
牧野 広子
1
1愛知県豊川保健所
pp.197-199
発行日 1977年4月10日
Published Date 1977/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205827
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私が看護の道へ入ったのは,正直言って看護婦になりたいとか,保健婦になりたいと思ったからではありません。どんな免許でも持たないよりは持っている方が良いからという単純な理由からでした。だから高校進学する時に衛生看護科が新しく設置されるということを知り,それがきっかけで看護の道へ入ったわけです。だから私は,准看護婦免許を取得した後,看護婦,保健婦及び養護教諭の免許をストレートに取得してきました。学生時代は,免許欲しさに勉強しただけで,その職業に対する誇りなど持ち合わせてはいませんでした。今思えば,本当に恥しく,全く中身のない免許でした。
私が保健婦の職を選んだのは,言わば県のひもつきであったということです。というのは,学生時代に県から奨学資金を借りていたために,本当ならば養護教諭として働こうと思ったのをやめて,保健婦の道を選ばざるを得なかったわけです。
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