特集 不死烏としてはばたく保健婦
財団法人ひかり協会ができるまでの歩み
精密検診参加とひかり協会への協力
金沢 彰
1
1大阪府立公衆衛生研究所・精神科
pp.602-608
発行日 1974年9月10日
Published Date 1974/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205524
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
事件との出会い
大阪大学医学部精神医学教室を辞し,府立公衆衛生研究所に赴任してまだ数日しかたっていない昭和47年9月のある日,精神衛生部長から「森永ミルク中毒被害児の検診をひきうけてもらいたい」旨の話があった。当時はなぜ自分がその役割を果たさねばならないのか,何をしたらよいのか,とんと見当もつかないまま,「そうですか」と生返事をしたことをおぽえている1)。
9月末,大阪府森永ミルク中毒被害児精密検診委員会から,代表委員東田敏夫,代表代行中川米造両先生が研究所に来られ,我々精神衛生部職員一同を前に,被害児の精神面,社会面の検診をしてほしいと述べられた。被害児の身体的,精神的,社会的問題点を明らかにするために,その年のはじめから行なわれている精密検診で,精神的,社会的な面での取り組みがおくれている,その分野を我々に進めてほしいということであった。
Copyright © 1974, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.