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一度しか会っていないのに忘れられない人がいる.私にとって大谷先生がそうである.会ったのは私が医学生時代,先生は厚生省(当時)の局長であった30年前である.自己負担の引き上げなどの医療制度改悪やプライマリケア軽視の卒後研修制度などに義憤を覚えていた私は,それらを設計している厚生省のお役人とは,偉くなるほど初心をすり減らしてしまった人たちだろうと勝手に想像していた.しかし,先生は違っていた.本書の随所に書かれている厚生省に入られた初心「医者にかかれない社会的弱者含めたすべての人びとに,医学医療が公平に行き渡って欲しい」という思いを私に語った.そして第三章で紹介されている画期的な精神障害者実態調査(1963年)で現実を捉え,それを元に精神衛生法を改正(1965年)したことを例に,現実社会の厳しい制約と闘いながら,医療と社会を少しずつ変えていくのが官僚の仕事だと教えてくれた.
著者は退官(1983年)後,財団法人藤楓協会理事長や国際医療福祉大学学長などを歴任され,さらにハンセン病(らい)国家賠償訴訟を巡る裁判の証人などとして闘い続けてきた.ただし,元官僚として国や自分たちのやってきたことを正当化し弁護する立場ではない.反対に,その過ちを認める立場であった.なぜ,そこまでしたのか.その答えも,この本の中にある.ご自身が多重がんなどを患った病身をおして,らい予防法の廃止(1996年),ハンセン病問題基本法の成立(2008年)に向けて奔走された原点は,1943年の小笠原登先生(京都大学助教授)との出会いにあった.当時18歳.大谷先生にとってハンセン病は,恩師の志を継ぎ,実に半世紀以上かけたライフワークだったのだ.
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