グラフ
大爆発から10年の三池
若林 陽子
pp.1-4
発行日 1974年1月10日
Published Date 1974/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205409
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大牟田の炭往街はいつもなぜかさみしい。ひっそりとうずくまっているようだ。すり切れた旗のなびく三池労組の扉をあけると,顔なじみになったKさんがいつもと変わらない笑顔を見せた。「10月1日,三井はとうとう石炭部門を鉱山から切り離し,子会社にしてしもうたとです。」表情はおだやかだが語気はきびしい。
昭和34年11月9日,三川鉱炭じん大爆発が起きてから,その後もなお合理化の嵐はおさまらないばかりかますますその猛威をふるっている。死者458名,800余名にのぼるCO中毒患者を出しながらも,この10年間,会社は災害責任をとるどころか使いものにならなくなった労働者を次々に虫けらのように切りすててきた。
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