声
保健婦と労働組合運動
川崎 妙子
1
1京都府乙訓郡大山崎町役場
pp.857
発行日 1973年8月10日
Published Date 1973/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205337
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昨年6月に第1子を出産し,はや満1歳の誕生日をむかえた。働いている婦人は,みんな同じ思いをしながら子供を育ててきたことを頼りに,またはげましに,家庭と育児と職業とを夢中でしてきたが,就職してから今日まで悩んでばかりである。特に妊娠中には,一番よく知っている保健婦でありながら,自分自身の母体が守れない。母親学級などで指導していることはいったいなんだろう。実の伴わない空虚な通りいっぺんの指導ではないか。集団指導ではそれもしかたがないのかもしれないが……。
保健婦は毎日仕事の忙しさに追われ,どうしてもはたさなければならないノルマがあり,自分自身の体を考えているどころではない。しんどくても無理をおして出勤しなければならないことがしばしばある。そのような現状におかれているのに,体が弱かったり,病気をしたり,流産したり,異常出産だったりすると,「保健婦のくせにあかんなあ」といわれる。そんな時とてもたまらない気持になる。
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