声
思い出の30年間
鈴木 愛子
1
1新潟県柏崎市役所
pp.473
発行日 1973年7月10日
Published Date 1973/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205318
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昭和19年4月新潟県刈羽郡鵜川村国民健康保険組合に就職した。戸数500戸,人口約3千人で,旅館1軒,呉服雑貨商1軒,酒タバコ商2軒,雑貨菓子商5,6軒で,農協の販売くらいで,大部分は農業であった。部落は12もあるのに続き部落が少なく,一部訪問しては役場に帰り,次の部落を訪問した。山坂が多く自転車で訪問できる所は少なく,ほとんどが徒歩で往復1〜2時間もかかった。
結核患者で緊急訪問を要するようなときもあるが,だいたい一部負担金の点数計算や令書の作成が毎日の仕事であった。私は事務的な仕事が希望ではなかった。当時村出身の婦人科医師がおられて,リュックサックをしょって,よく往診してくださった。村民はとても喜んでいたが,農村のこととて,収入が少ないわりに税金が高くて生活しにくいため,2年くらいで新潟市に移られた。天然痘が流行し,村民に臨時種痘が実施されることになり,隣村にも医師の介補について行った。
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