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清水先生の思い出はかなり多い。学生時代の御講義は実にうまかつた。誰もが休む事なく,飽く事がなかつた。何時も温顏で寛容であつたが講義が始まると,時々階段教室の後方の出入口に注がれ遅刻しようものならジロツト一瞥を与えられたものである。然し実に何事によらず学生には好々爺であつた。
然し医局に入つてみると,実に峻厳であり,潔癖であり,達弁でもあつたが,落雷の甚しい事は医局一同の恐怖に近い感じのものであつた。あの戦時中に各人に辨当を持参させ先生自から梅干入りの「にぎり」の範を示された事が,御退職の時まで続いたのには驚きました。私等医局の者は辨当の忘れたもの或は当直等でなきものは「うどん」一杯よりとれなかつた。身の廻りの事に就ても「ネクタイ」から頭髮「ワイシヤツ」に至るまでお小言を聞き,夏の酷暑の折り隣の外科教室では裸一つであるのに,吾々は「ネクタイ」をつけて汗みどろになつて先生のお帰りを首を長くして待つた事であつた。こんな事で入局当時は,学生時代に好々爺の感の深かつただけに,只々恐ろしい先生と云う感じにつきていましたけれど,一度お家に訪つた時の先生は温情溢るゝ先生でした。只教室での先生は全然違つた様に思われました。御廻診時の患者の面前での落雷,手術室でのそれ,毎朝の患者報告時のそれ,研究室でのそれ,実に何回味つた事だろうか。然し先生が御停年で学校をお退きになつてから現在に至るまで,其の落雷の如何に役立つている事か,その様な場合に会う毎に,先生のあの落雷の尊さがしみじみと感じられます。今は亡き先生への想い出に対し斯く駄筆を弄していると,たゞたゞ先生の温情に対する感謝の念のみであり,当時の自分のいたらなさが悔られて来ますと共に,恩師清水先生の御冥福を心からお祈りせずにはいられません。
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