声
保健婦生活30年の思い出
鎌村 フクノ
1
1徳島県美馬郡美馬町役場
pp.8
発行日 1973年1月10日
Published Date 1973/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205202
- 有料閲覧
- 文献概要
私は昭和17年9月,徳島県の西北部,吉野川北岸の無医村の保険組合に採用された。以来30年,いろいろな問題が私をきたえてくれた。基礎のない保健婦業務を,なにから始めてよいかわからぬままに,乳児台帳作製後家庭訪問を開始した。おしめを干している家庭は全戸訪問し,慢性疾患の聞き込みをしつつ部落別に台帳を作製したりした。雨の日も風の日も毎日訪問に出た。当時は戦時中で物資不足のため,靴はなく千日ぞうりで,母の帯しんを更生して肩かけ訪問鞄を縫った。夏は真黒になり,冬は凍傷に苦しんだ。
山間の初回訪問の8kmの道は途中人家がなく,山また山を越え,谷間の瀬音のみ耳にし,見知らぬ人に会えばドキンとし,雑木林の落葉の音にもハっと驚き,蛇に追われたこともある。当時は保健婦が知られてなく,保険屋か商人と間違われた時代である。はかり知れない思い出ばかりである。無医村のため,時間を問わず医師の代用をさせられ,置き薬,売薬,野草で手当てをした。山間に医師は絶対往診に来てくれず,重症患者はほとんど戸板で隣村まで運んでいた。平地でも1回の診療の後は保健婦にまかされ,ずいぶん多忙であった。日曜日もほとんど半日は出勤していた。
Copyright © 1973, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.