随筆
30年前のスキーの思い出
大野 精七
1,2
1北大
2札幌医科大学
pp.22
発行日 1953年2月15日
Published Date 1953/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201165
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私が北海道大学新設医学部の教授候補者になつたのは大正8,9年頃で,寒い札幌にすむにはスキーかスケートでもしなければ生活が面白くないだろうと考え,大正10年3月東京大学の学生監をされスポーツを奨励されていた河本禎助さんが主となつて越後の赤倉温泉で春休みを利用してスキー講習会を開いてくれたので,私は喜んで小島三郞さんと一緒に行つたのが最初のスキーである。神社の鳥居が半分雪の上に出ていた附近でレルヒ少佐直伝の阿部,高橋両氏がテレマークやクリスチアニアを見せてくれた。私はローラー・スケートをやつていたのでスキー初学者としては幾分楽であつた。関温泉を見おろせる處まで行つてザラメ雪をすべつて帰つた際,何偏か顛倒して顔をすりむき,新調の雪眼鏡をなくして残念に思つたこがある。今は故人の林春雄先生は2名の坊ちやんと来ておられた。宿の湯船は龜の頭からお湯が流れ出ていたので誰やら笑つた事をおぼえておる。スキーはアルパイン・スキーでストツクは長い單杖の人もいたが,私は短い複杖をかりてつかった。靴は軍靴をはいたのでスキーして帰るたびに靴下はずぶぬれとなり,かわかすのも一仕事であつた。
私はその年の11月日本をたって翌11年(大正)の1月マルセーユをへて独逸に入り,今でもスキーで有名なフライブルグ大学のアシヨフ教室にはいつた。三田村篤志郞,神谷甫彦,大野省三,鳥海克巳,牧野融,木下良順君等と一緒であつた。
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