特集 近代化,プロ化をめざして
群馬の保健婦の一つのあゆみ
わたしのあゆみ
未知への挑戦に意欲をもやす
高橋 まつ江
1
1群馬県渋川保健所
pp.91-94
発行日 1973年2月10日
Published Date 1973/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205220
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一億一心,健民健兵,産めよふやせよの旗印のもと,大東亜戦争のたけなわの昭和18年,うら若き20歳の乙女が意気揚々として,住民の健康は私たち保健婦の双肩にありと固く信じて,中之条町農協(当時は農業会)に国保保建婦として就職してから,29年の歳月が流れた。当時は農業会で国保事業を代行していたが,保健婦に対する理解などあろうはずもなく,家庭訪問時によく「家では保険にはいってませんから結構ですよ」と玄関払いされたことも幾度かあった。しかし,保健婦とは何をするものかとの強い使命感とともに,若さと情熱で克服し張り切っていたが,5年10年とたつうちにだんだん意欲はうすれていったが,どうにか現在まで続けてこられたことは,このうえない喜びとともに,恩師ならびに上司,先輩諸姉また同僚更には家族に対し,深甚な感謝をささげたい。
しかし29年をふり返ったとき,何が残ったろうか,牛歩のごとくただ歩み続けたのみで,これといって取り上げるような業績もなくお恥ずかしい次第である。このたび偶然のキッカケから原稿を依頼されたが,執筆とはなんとあつかましいと思うが,これも何とかの効より年の効とかで,お許しをいただきたい。さて時代とともに公衆衛生も変遷し,保健婦も時代の要求にあった仕事を余儀なくさせられる。したがって戦時中,戦後から現在に至るまで,みな一様に変化をしていると考えてはいけないだろうか。
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