特別寄稿
催涙ガスによる生理障害—-14C-オメガクロルアセトフェノンの体内分布と胎児への移行について
土器屋 由紀子
1
1東大農学部
pp.67-72
発行日 1970年9月10日
Published Date 1970/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204761
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世界的なガス利用状況
最近「暴動鎮圧」のための「人道的な」武器として催涙ガスの使用が多くなっている。国内では1968年佐世保で大量に使われて以来,デモといえば催涙ガスがつきもののようになってきた。昨年1月東大安田講堂で使われ,多くの重傷皮膚炎患者を出したことは記憶に新しい。国外でも,インドシナ戦争の激化にともない枯葉剤とともに大量の催涙ガスが使用された。アメリカ各地の反戦デモ,学園闘争,黒人運動において,1968年5月にはパリのカルチエラタンの学生たちに,1969年および1970年の北アイルランドのボグサイトにおいて,催涙ガスは警備の主役となっている。パリでは,56才の婦人が急性呼吸困難のため死亡し,ガス液が目に入った5名に失明の恐れがある。北アイルランドでは,乳幼児の多くに後遺症がでており,また死産の増加が問題となっている。
一方,近代戦における兵器としての致死効果の高い毒ガスがほとんど使用不可能になった現在,世界的に「BC兵器禁止」の動きがある。しかし日本,アメリカ,イギリスなどが中心になり,「催涙ガスなどの暴動鎮圧剤はBC兵器ではないから禁止の対象から」除こうという動きがある。つまり,催涙ガスなどの暴動鎮圧剤はまだ役に立つ毒ガスなのであり,今後もますます使われるということなのである。
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