ルポ
生体実験の生贄=大久野島の島民 旧大日本帝国陸軍毒ガス製造工場後始末記
落合 英秋
pp.61-66
発行日 1970年9月10日
Published Date 1970/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204760
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1.海水浴場となった毒ガスの島
広島県竹原市忠海町の桟橋から小さな客船で15分,瀬戸内海の通称"めかり瀬戸"に浮かぶ周囲約4キロの小島――大久野島は,かつて旧大日本帝国陸軍の唯一の毒ガス製造工場であった。この"毒ガス島"に戦争国家は,推定5万人をも超える沿岸の農民や漁民,婦女子までをひきずり出し国際法違反の殺人ガス製造に強制労働させて,多くの人びとを毒ガスの生贄に供してきた。この島は,さる1963(昭和38年)厚生省指定の「国民休暇村」に変容をとげてこのかた,年ごとによそよそしくなり,戦後4半世紀を経たいまは,遠近さまざまの観光客や海水浴客で,ことのほか賑わっていた。
そこには,その後今日にいたるまでおびただしい量の新聞や雑誌,テレビなどで拾われ,描かれてきた惨たらしい地獄図絵さえあたかもなかったかのごとく,エセ"遊休施設化"のカタルシスによって,時ならぬ場所ならぬ一見平和な日だまりが満ち満ちていた。やんぬるかな,そこにはもはやこの戦用毒ガスという人類史上に黒い呪詛の影をひきずった大量殺りく残虐兵器をひたぶるにつくり出し,ひそかにアジアの戦場で使用し,これをほおかむりしてきた元凶の姿すらなく,まだ決して忘れてはならぬ日本人による日本人の惨劇さえも,すでに遙かなる昔話として風化しつつあった。
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