鏡下咡語
国際学会始末記
調 賢哉
1,2
1元:鹿児島大学
2現:調クリニック(耳鼻咽喉科気管食道科)
pp.296-297
発行日 1992年4月20日
Published Date 1992/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411900526
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30年近い以前のことである。
父の急逝にあい,家庭の事情(現在は福岡大学耳鼻科教授の弟は卒後数年であり,現在は川崎医大病理学教授の弟はまだ高校生,妹はまだ中学生および短大生であった),母親のたっての希望のため,それまで順風満帆であった鹿大助教授の学究生活を辞し,郷里に帰る時は断腸の思いであった。突然の事なので主任の久保隆一教授には随分迷惑をかけた事を考えると今もって慙愧に耐えない。郷里に帰った当初は機会があれば又,大学に復帰するつもりでいたが,それもかなわぬまま時は過ぎていった。しかし現在はこれだけ患者さんに慕われれば医者冥利につきるというもので,私の歩んだ道がむしろよかったのかなと考えるようになった。ちなみに私のクリニックは遠くから受診される沢山の患者さんのため,午前0時から受付を始めるがその時は年間通じていつも100名位列を作って待っておられる。
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