連載 復帰前の医療—本土・沖繩を結ぶ
本土並の結核実態
浦野 元幸
1
1沖縄名護保健所
pp.54-55
発行日 1970年7月10日
Published Date 1970/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204720
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昭和43年,つまり1968年に本土と同時に沖縄で,結核の実態調査が行なわれました。これは2回目で今回は本土と同じ方法で施行したわけです。当時那覇保健所で私の最後の仕事として伊波茂雄所長(現公衆衛生部長)からお頼まれして現場をとりしきったのでした。那覇保健所管内だけでも38地区,全琉を合せると100を上廻る大仕事で,連日連夜,悪戦苦闘したものです。
この結果が最近分析され,その実態が明らかにされました。それによりますと若年層に罹患率が高いほかはすべて本土と大きな差が認められないという数字でした。これは一体どういうことでしょう。すでにいろいろな沖縄報告,資料すらみられた方もおありでしょうが,沖縄では結核問題も予算不足,医師不足,ベット不足等難問が山積しておりました。そのため,6カ月の教育入院制を療養所ではとる一方,保健所では3〜6カ月に1度,予約検診経過観察を行なってそれにもとずく投薬,指導が公衆衛生看護婦(公看)によってそれぞれの駐在で行なわれてきたのです。管理治療は一元的に行なわれていたのです。高知県と同じように地区分担の駐在制がしかれておりましたのでどんな離島,僻地でも駐在において毎月指導投薬が行なわれる在宅治療制度があったのです。
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