特集 公害と住民運動
公害のまち富士市の住民運動
田村 紀雄
1
1東大新聞研究所
pp.10-16
発行日 1969年11月10日
Published Date 1969/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204528
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
住民不在の火力発電所設置承認の市会決議
富士市という名前が,ここにわかに国民の関心を集めだした。東海道線が市内を貫通していながら,これまで人びとは,富士市という名に興味を示すのは,夏の都市対抗野球で大昭和製紙が後楽園で活躍するときぐらいに限られていた。多くは,富士南麓のなだらかな傾斜地に展開する紙パルプ工場群,風光明媚な田子の浦港に出入する漁船といったイメージの奥にある静かな都市像であった。
ところが,この1年,マスコミを賑わす富士市に関するニュースは暗い深刻なものばかりである。富士山の顔をくもらす煙害,工場用水の汲みすぎによる塩水化,毎日新聞記者の殺害にみられる暴力汚染,東京電力の火力発電所建設計画とこれに反対する市民・漁民の運動,これを強行承認しようとする市議会への市民の乱入,えとせとら。そして7月11日には,とうとう富士市議会の全員協議会が,"大雨対策"と称して招集され,抜き打ち的に「火力発電所設置」を承認してしまった。実は,7月初め私がなん度目かに訪れたとき年4回の市議会が開かれ,会期3日間の初日に「暴力排除」と満場一致可決し市の音頭でキャンペーンが行なわれていた。私は直観的に市が火電設置承認を可決する前提だと思い数人の反対派の人たちに「暴力反対ということで,市民の反対行動をセーブする手だ。その上で可決するのではないか。」とたずねたが,いずれも「ここは暴力団が多いとこだから。」ととり合わなかった。
Copyright © 1969, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.