特集 公害と住民運動
セロハン公害
大川 博徳
1
1三重大学教育学部
pp.17-29
発行日 1969年11月10日
Published Date 1969/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204529
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
名古屋市北区にある2つのセロハン工場(福徳町,アイセロ化学および水草町,大日本セロハン)による悪臭などの公害は昭和初年の操業以来数十年にわたって今日まで存在し続けてきた。農作物に対する被害や悪臭による不快感,さらには家屋をはじめ金属類の腐食に悩まされた被害住民はいく度か反対運動に立ち上がったが,その多くは散発的でたとえば工場との直接交渉とか役所への苦情や陳情といった個別的処理法がとられただけで,地域住民の横の連絡がほとんど無かった。しかし昭和29年の反対運動で住民が県と市に働きかけて工場に臭突をつけさせるという条件をとりつけたこともあったが,工場を誘致して地域の発展を計った歴史的背景が物をいったり,工場がすでにあるのだという事実や商店街が賛成に回ったりして結局その反対運動は大きく盛り上がらずに終わってしまった。
被害世帯数は2つの主場を含む光城学区の約4,000を中心に西区にも及び風向きによっては数キロにも汚染が達している。
Copyright © 1969, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.