特集 保健婦現代史―そのあゆみとゆくて
第Ⅱ部 私の保健婦ノート
保健婦業務の変遷
井上 幸子
1
1厚生省看護課
pp.102-111
発行日 1967年1月10日
Published Date 1967/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203835
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
衛生行政のなかの保健婦
日本において保健婦という名称がはじめて法的に用いられ,その業務が規定されたのは昭和12年に制定された保健所法によるので,保健所法制定の当時からその歴史をふり返ってみる。
日本の衛生行政は明治以来警察行政の一部門として発展してきており,その末端行政も警察を中心として運用されていた。しかし国民体位の向上を図るためには行政的な取締りだけではなく,保健上の指導を行ない全国民の保健知識を高め,それを日常生活に実践させることが必要であるという考えから,医師等専門の技術者を中心とする指導機関の設置の必要性を生じ,昭和12年4月5日法律第42号をもって保健所法が制定公布された。(資料/1)。保健所はこのように保健衛生指導の第一線機関として発足し,保健所を中心とする保健指導網が考えられた。発足当時の保健所の職員は技師2名,技手1名,指導員3名,保健婦3名をその保健所事業遂行上の必要なる最低限の職員とし,技師および技手中2名は医師,1名は薬剤師の資格を有する者よりこれを採用するよう命令をもって規定されたが実際には大部分が薬剤師であったといわれる。指導員は衛生技師の経験を有するものを採用,保健婦は,まだ当時その教育も行なわれていないため,看護婦免状を有するものが採用され,そのうち産婆の免状を有する者が1名以上いることが望ましいとされている。
Copyright © 1967, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.