特集 保健婦現代史―そのあゆみとゆくて
第Ⅱ部 私の保健婦ノート
保健婦教育と私
橋本 秀子
1
1神奈川県立公衆衛生看護学院
pp.85-87,94
発行日 1967年1月10日
Published Date 1967/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203832
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保健婦教育の道へ
浦和で"がりがり婦長"の異名をとっていたとは露知らず,私なりに夢中で働いたある日,クラスメートの小林富美栄姉より「保健婦教育をやってみないか?」とのこと。しかも新制度保健婦教育として中・四国ブロックで最初に発足する岡山県の学院にということであった。
これはまさに寝耳に水のおどろきである。大体,聖路加,東芝病院などと臨床をあるいて,保健婦になったのが昭和22年9月,埼玉県所沢保健所をふりだしに,昭和23年7月,当時のミセス・ローラー女史と武笠(県)看護課長に口説きおとされて浦和保健所婦長になって,やっと保健婦の何たるかを考えはじめたばかりのところだったからである。
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