発言席
私は保育園保健婦です
羽室 俊子
1
1セゾングループ星の子保育園
pp.507
発行日 1991年7月10日
Published Date 1991/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900261
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今年4月30日,恩師湯槇ます先生が亡くなられた。先生の輝やかしいご業績について書くには,他にたくさんの適任者がおられるので,私はひとつごく個人的な話を紹介しようと思う。
かつて,母校の私の在席した学科には,教授か助教授のお1人と学生は各学年2名位の計10名位でグループを作り,親子会と称して時々おしゃべりをしたり,食事をしたり遊んだりする会があった。卒業間近の親子会で,私は卒業後の進路について「優秀な同級生をみるにつけ,女性が安心して仕事と育児を両立できるような集団保育のあり方を研究し,実現したい」という意味の話をした。聞いていらした湯槇先生は「私が馬車で子どもたちを集めてあげましょう。保育園が終わったら,また馬車で子どもたちを家に送ってあげます。楽しみですねえ。是非おやんなさい」
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