社会の窓
大小について
野口 肇
pp.56
発行日 1964年7月10日
Published Date 1964/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203164
- 有料閲覧
- 文献概要
むかしからの子どもの遊びに,大きな提灯・小さな提灯というのがある.音頭とりが大きな提灯とさけんで両手で大きな輪をつくる.参加者は逆に両手で小さな輪をつくる.つりこまれて大きな輪をつくれば負け.音頭とりが小さな提灯といって小さい輪をだしたときは,反対に両手で大きな輪をえがくと勝ちになる――といった単純なルールだが,いざためしてみるとなかなかむずかしい.それにおもしろいのは,参加者がこのルールに習熟してくると,音頭とりのほうがついひきずられてまちがえることである.つまりは物の大小について身についた価値感あるいは本能的な感覚があるからだ.
さて例をあげよう.ほんのときたま新聞のトップに「昨日,事故死なし」とある.こぞんじのように毎日の新聞はトラックが暴走したの,酔っぱらい運転だの,電車に乗用車がとびこんだなどなど,これでもかこれでもかと報道する.読むほうもまたかと食傷しているので無事故は一大ニュースになる.よくいわれるが,犬が人間にかみついてもニュース種にはならぬが,人間が犬にかみついたらビッグ・ニュースだ,というのに似ている.そして人びとはそこであえなく死んだ人の妻子にまで思いをはせない.他人ごとであり,自分ならあんなバカな死にザマをしないと考える.戦争がそうだった.出征兵士はおれだけは生きのびるという変な確信(?)を抱いてでてゆく.そしてみずからもけっこう戦病死する
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.