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世界の波
末松 満
pp.64-65
発行日 1956年8月10日
Published Date 1956/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201251
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オリンピツクが近ずいた.世界中の若人がメルボルンに集まり,国の名誉にかけてたたかうのだが,政治にも軍事にも,いや思想上にも,なんの区別がないのだから,メルボルンはただ麗わしく朗らかな民族の祭典を演じるであろう.だが4年前,ヘルシンキ(フインランドの首都)で行われた前回のオリンピツクの場合,開催地であるヘルシンキ市民は,今度のメルボルン市民ほど朗かではなかつた.ヘルシンキ郊外わずか20キロの地点から海岸一帯にかけて,ソ連が軍事基地を築きフインランド国民の出入の自由を抑えていたからである.日本にたとえるならば,横浜から大磯にかけて外国軍が駐屯し,東京都民の行動をにらみつけているようなものだ.
このソ連軍の基地はポルカラ軍港と呼ばれ,1932年に起つたソ連とフインランドとの戦争の結果,ソ連に奪われた敗戦の記念物だつたのである.ところが昨年9月,ソ連は突如,「ポルカラを返還する」と放送した.当時フインランドに駐在していた油橋総領事の奥さんはこのラジオ放送におどろき,日ごろ親しかつた社会大臣サーリ博士夫人に電話をかけ「大変です,ポルカラが返つてきます」と伝えたところ,サーリ夫人も寝耳に水であり,それから大さわぎ,大よろこびになつたということである.
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