ルポルタージュ
良い人の歩いためとは美しい花が咲く—桐蔭学園をたずねて
M. T
pp.37-40
発行日 1953年6月10日
Published Date 1953/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200531
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新しい門標の蔭には
東京と一口に云つても仲々広い,まして中野区江古田の桐蔭学園と云われても東京に住む人ですら知らない人の方が多いかも知れない。事実,桐蔭学園のすぐ側まできて,近くの商店で「桐蔭学園はどこですか」と聞いても「さあ」とくびをかしげてしまつた。あるいはたまたま知らなかつたのかも知れないが,まあ知らない方が普通たのだろう。それでもこの近くの人なら中野療養所を知らない人はまあ少い。近所の人なら知つているのが当然なのかも知れないが,療養所の方は東京が広いと云つても知つている人は割合に多い。この中野療養所の隣,そして武蔵野療養園の前に,右側には財団法人結核豫防会桐蔭学園,左側に結核豫防職員研修所保健看護学部とかかつた石の門がある。右側の「桐蔭学園」という方が隨分古いのに反し「保健看護学部」という方はこれと対象的に新しい。恐らくこの古ぼけた「桐蔭学園」という方の門標だけでは,もし初めてこの前を通つた人でも何の関心も起さずに通り過ぎてしまうそうだ。もし強いて考えるなら虚弱兒童の施設か,あるいは小兒保養所位の印象しか興えまい。しかもそれは消えかかつた「財団法人結核豫防会」という字を讀んだ上でのことである。もしこれを讀またかつたら精神薄弱兒の收容施設かた位にしか考えかねない。
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