世界の波
国際外交のならわし
末松 満
1
1朝日新聞
pp.20-21
発行日 1952年11月10日
Published Date 1952/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200394
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伊藤博文,大山巖,山県有朋,榎本武揚,三島通庸と名前を並べると,いずれも明治の元勲として,いかめしい姿が想像されるが,一夜仮装をこらし,あるいはエビス,大黒となり,あるいは児島高徳となつて,はなやかなダンス・パーティへくりこんだことがある。吉田ワンマン首相夫人のお母さんも,その夜は汐汲み姿で,お客の座をとりもつた。時は明治20月4月20日,桜なお散りのこる首相宮邸の出来ごとである。そのころ,これに類した狂態は上流社会で連日連夜行われた。熾仁親王御息所,大山夫人,伊藤夫人が音頭をとる大バザーはまずよいとしても,婦人洋食会,ローマ字会,果てはコーカサス人を連れてきて大和民族の人種改良を企てる論に及んだ。
一体なんのためかといえば,日本が文明化したことを外国人に示し,対等のおつき合いをしてもらいたい,というにあつた。政府としては,治外法権などという不平等条約が幕末,明治初年に結ばれているのを,一日も早く廃止したいばかりに,恥を忘れて外国(いわゆる先進文明国)のごきげんをとる政策だつたのである。この悲しい努力にもかかわらず,その上,大隈外相が爆弾で隻脚を失うという騒ぎまでありながら,条約改正は一向に進まず,日清戦争が終つた後に,やつと諸外国が日本の実力を認め,治外法権の撤廃にこぎつけた。
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