世界の波
日和見主義の外交……—原爆の灰
末松 満
pp.52-53
発行日 1954年6月10日
Published Date 1954/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200757
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長崎で原子爆彈が破裂したとき,山一つ隔てた近隣の村落へ「原爆の灰」が降りかかつた.九州大学医学部で放射線の研究をしていた石川数雄助教授(現在・主婦の友社社長)は,その灰による人体への被害を調査したが,占領軍として乗りこんで来たアメリカ当局は,石川博士の調査発表を許可しなかつたばかりか,「原爆の灰による被害なんぞあるものか」とうそぶいた.
曲りなりにも日本が独立国となつている現在,さすがのアメリカも,「水爆の灰」をビキニ島から降らせた結果を「人体に無害」とはうそぶき得なかつたが,「日本の新聞は大ゲサだ」とか「日本の漁夫はスパイかも知れぬ」とか,盗人たけだけしい言辞をろうし,アリソン駐日大使が遺憾の意を表したのは実に4月9日,事件から1個月以上もたつてからのことであつた.その間わが岡崎外相は日米協会とやらの公式会合にまかり出て,「原子力兵器の実験は単にアメリカだけではなく日本にとつても必要である」と演説し,今後日本から実験中止を申入れることはせぬばかりか,でき得る限り協力したいとの意向を表明した.まことに「なんじ右の頬を打たれなば左の頬をさし出すべし」とのたもうたキリストさまもかくやとばかりの態度である.
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