視座
「国際化」
糸満 盛憲
1
1北里大学医学部整形外科
pp.525
発行日 1994年5月25日
Published Date 1994/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408901358
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国際化,国際化と言われて久しい.著しい経済成長に支えられて,世界のトップレベルに伸し上がった日本が,バブルが弾けて青息吐息のところに,スーパー301号などという手前勝手な経済制裁理論をかざして,世界の腕白坊主がいじめにかかってきた.世の中の回転速度が異様に速くなってめまぐるしいこと限りがない.「家内と相談した結果やめることにしました」と,いとも簡単に政権を放り出した細川首相は,政治手腕は別として従来の総理とは一味違う,あの人を食ったようなところが何とも言えず面白かった.しかし一国の総理ともあろうもんが国連で英語で演説したのにはいささかうんざりした.
まるで英語を話すことが国際化,あるいは国際的であるという誤解が罷り通っている.国際学会では,たとえそれが日本国内で開催されても,公用語は英語―流行語だから仕方がないのかもしれないが―が慣わしになっている.しかも当然のごとく誰も疑問を挟まないどころか,英語を話す人だけが偉そうな顔をして闊歩する様を異様に感ずるかたは多いのであろうが,これを正面切って議論しようとする向きは皆目みられない.科学,医学の分野に身をおく私たちにとって,確かに英語を理解できるほうが,ずっと能率よく情報や知識を入手し消化できるし,また話せたほうが輪も広がることには異論はない.
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