ひとやすみ・22
市民外交
中川 国利
1
1仙台赤十字病院外科
pp.997
発行日 2007年7月20日
Published Date 2007/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407101780
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- 文献概要
大学の医局で学んでいた20数年前,ドイツで留学生活を送る機会があった.ドイツでも英語が通じるが,一般市民に溶け込むためにはドイツ語が話せたほうがよいと考え,語学学校に入った.語学学校は南ドイツにあり,オーストリアのチロル地方に接していた.山と湖に囲まれた静かな田舎町であった.朝から晩までドイツ語漬けではあったが,暇を見つけては近くの山に登り,湖で泳いだ.また,バス旅行に参加しては,イタリアやオーストリアまで足を伸ばした.
2か月間の速成語学勉強ののち,留学先であるハイデルベルク大学マンハイム病院に赴いた.病院の建物は,かつての東北大学医学部の建物とよく似ており,親近感を覚えた.病院は朝7時から始まり,午後3時には終了した.2,000床を超す大きな病院ではあったが,日本人は誰もいなかった.
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