主張
自然は憩のオアシスである
pp.8
発行日 1951年6月10日
Published Date 1951/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200089
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憩いを求めて都會をにげ出す人々を常の3倍位もつめこんで東武電車はひた走りに東京を北に向つて走つています。隅田川,荒川放水路をすぎたあたりから眺望は急に展けて青々と豊かにのびた麥畑がみえはじめます。これも麥,あれも麥と何か若やいだ氣持になつて畑の面を追う眼に,時々ぐつとさす樣に明るく,強く入つて來る菜の花畑,菜の花の見頃はすでに過ぎたのですが,來年のための種子探りか又は油をとるのでしようか,眞新しい香りまでたゞよつて來るように咲き揃つています。久々にみた紅いれんげ草畑は,子供の頃,たばねて大きな花束にしたり,長くつなげて輪につくり首にかけたりして遊んだことなど懷しく想い起させてくれます。眼を點ずれば,新緑の木立のそちこちに點在するワラ屋根の上高く,體一杯に風をはらんだ眞鯉,緋鯉が五色の吹き流しと共に勇ましく空に泳ぎ,「あゝあそこの家は3人」「ここは2人」と男の兄弟の數をよむのも退屈な車中の一興です。
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