ルポルタージュ “陽気ぐらし”の中のナース
財団法人天理ようづ相談所“憩の家”〈その1〉
木島 昻
1
1小児科
pp.64-68
発行日 1967年9月1日
Published Date 1967/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913282
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和館洋式の近代病院
天理市という町
ふしぎに“奈良県”とはいいたくなくて,“大和”という言葉が自然に口をついて出てくる風景である。古い白土塀の旧家然とした構えの家々,やたらに多い寺院の甍,3寸ばかりも水面から伸びた稲は降り続く激しい雨の描く饒舌の輪に,小刻みにふるえていた。国鉄線で奈良から約20分,車窓から日本人のふるさとを私は眺めつづけていた。
この静かに和んだ大和風土の中にある,天理教のおぢば(信者の故郷,メッカ)が人口6万人に近い天理市である。駅の改札口を出たとたんから,自分が異教徒であることを自覚する。ちょうど,飛行場を出て外国の土を踏んだ途端に自分が日本人であることを意識するのに似た感情であるが,この感情はけっして肩身の狭い,孤独感に追いこまれる差別感情ではない。つまり,すこぶる対日感情のよい異国に降り立った日本人旅行者のもつそれであって,訪れた私は物珍しさに目を瞠り,親切なこの町から陽気な雰囲気で取材をすることができた。どこを向いても,白字の“天理教”の3文字を背に抜いた紺のハッピを着た信徒たち,門前町などという町の発達型式ではなく,町ぐるみ人も建築物も天理教それ自体なのである。
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