ルポルタージュ “陽気ぐらし”の中のナース
財団法人天理ようづ相談所“憩の家”〈その2〉
木島 昻
1
1小児科
pp.88-92
発行日 1967年10月1日
Published Date 1967/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913326
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現代の天理教
教祖“みき”が息子善右衛門の膝の激痛を修験者の寄加持で治そうとした後も,神がかり的医療行為はしばらく続いた。“みき”には“はる”という娘がいた。“はる”が難産で苦しんだ時,教祖であり母である“みき”は娘の前で手を合わせ祈ってから,大きな腹を肩のほうからさするようにして,ハアッと熱い息を3度吹きかけた。すると“はる”は急に全身に暖いものが流れ落着いた気分になり,玉のような男の子を生んだ。この安産への祝福はおびやのゆるしと呼ばれ教典にも残されている。
当時日本の主婦にとって出産は生命をかけての禍厄でもあったから,おびやのゆるしのことを聞いた妊婦たちは続々“みき”のところへ集まった。そのほかにもあらゆる病人が押しかけ“みき”は心ならずも伝道より病気の治療で忙しくなった。こうして医療行為と宣教とは切り離せない天理教になってしまったが,その後,現在の真柱・中山正善氏(教祖の曾孫)に至るまで後継者たちが,教条に学問的な体系をつけ,医療は布教の手段から切り離して近代医学を集中した付属事業として確立させた。シャマニズムから起こった一民族宗教が現代に大宗教として発展したのは,教祖以上に後継者たちの努力があったのである。
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