連載 『保健婦雑誌』52年の軌跡から・2
女性雑誌としてながめた『保健婦雑誌』―職業婦人の教養誌から「保健婦」の雑誌へ
松本 悦子
1
1立教大学大学院社会学研究科社会学専攻
pp.868-875
発行日 2003年9月1日
Published Date 2003/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662100162
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はじめに
「保健婦」は,地域に密着した活動,地道な社会貢献に務めながら,一般社会における認知度はあまり高いとはいえない職業のひとつである。テレビ,新聞,雑誌で,女性の専門職という切り口から,あるいは過酷な労働条件のもとで働く女性像という切り口から注目される割合は,圧倒的に「看護婦」のほうが多い。
ひとつの目安であるが,一般雑誌所蔵で知られる大宅壮一文庫雑誌記事検索目録で「保健婦」を検索してみると,1875年から2003年(3月現在)までで18件がヒットする。「看護婦」は622件であり,「保健婦」という名称そのものが(どのような話題であれ),一般にほとんど膾炙していないことが伺える。よって,保健婦の活動を社会的な布置のなかで把握できる資料は決して多いとはいえない。
そういう視点からとらえると,『保健婦雑誌』は,保健婦が主体的に声を発した記録であり,現場に根付く生きた思想の痕跡としても,働く女性の生の声の記録としても,意義あるものといえる。
今回は,『保健婦雑誌』の,保健婦のための「メディア」という側面に注目し,そのあゆみを振り返ってみたいと思う。52年分の貴重な資料は膨大な量であり,そのすべてを詳細に取り上げることはできないため,今回は巻頭ページに注目し,その変遷を概観する。そのうえで雑誌草創期に視点を定め,保健婦同士が知識を共有しあう「メディア」として,いかに『保健婦雑誌』が機能してきたのかを追ってみたい。
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