連載 私のフィールドノート・7
いざ,医療人類学へ
星野 晋
1
1山口大学医学部・文化人類学(医療人類学)
pp.663
発行日 2003年7月1日
Published Date 2003/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662100129
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オガミヤさんを相手にしているうちににわかに気になりはじめたのは,彼らのミヤワセ(占い・判断)において,病院で治療すべき「普通の病気」と超自然的理由による病とがどのように区別されていくのだろうかということだった。この興味は,そもそも人が病気になるってどういうことだろうという関心に容易に発展していった。「なんか体調が悪いな」と感じた人たちは,自分や家族で何とかなりそう,かかりつけ医に行くべきかな,いや民間医療だ,ん? これはオガミヤの領分かもしれないぞ……というように対応のモードを切り替えている。それはどのような判断に基づくのだろうか。そこにどのような文化的要因が組み合わさっているのだろうか。「病気」って奥が深そうだ。おっ,そのような関心に応えてくれそうな領域があるではないか。それが文化人類学の一分野として,日本でも注目されはじめていた医療人類学であった。
そのような折に『理想』(1985年8月)の医療人類学ミニ特集に載っていた長谷川敏彦氏のエッセーが目にとまった。長谷川敏彦氏といえば,健康日本21のコア・コンセプトを作り上げた中核人物の1人であるのでご存じの方が多いかもしれない。健康日本21の話は別の機会にゆずるとして,当時の長谷川氏は,日本の医療を変えていくツールの1つとして,医療人類学に可能性を見出していた。アメリカの医療人類学の現状を,医療者側の期待を込めつつ,そつなくまとめて紹介した小論であったが,直感的に「これだっ!」と思った。
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