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新緑の頃の自然の変化は目まぐるしい。木々の先端の黄緑色をした産毛のような新芽は,翌日には枝の真ん中まで広がり,次の日には幹の下のほうまで覆うようになっている。葉の色は日一日と深みを増し,すでにりりしい姿で,輝く陽光を跳ね返している。窓から見える風景の変化について,同室の人たちと毎日情報交換し確認し合うことも,病者がパワーを得るための貴重な方法だ。共通に目にする物についてさりげなく会話できることは,病者間の輪を保つうえでも役に立つ。
今回の同室者は,めずらしく私とは異なった病名の人が重なった。70歳代後半から90歳代前半の年配の方々である。加齢に伴う身体機能低下もしくは肺炎による呼吸機能低下で,それぞれが行動制限を課せられていた。左下肢の痛みと若干の歩行障害があるものの,曲がりなりにも行動の自由が許されていた私は,ナースの手が離せないとき,これら年配者のちょっとした手助けをすることぐらいはできた。食器の上げ下げ,買い物の代行,電気の点滅などである。同室者の「貴女,どこも悪いところがなさそうね」という無邪気な言葉には,「そう見えますか」と軽くうっちゃりで返していたが,「どこにでも自由に動ける元気な貴女が羨ましい。若いっていいわねえ」と言われると腹がたち,「この不快感や痛みを味わってもいないのに」「いままで十分年を重ねて満足だろうに,羨ましければ癌あげましょうか」などと皮肉の1つも言いたくなる。なるほど見た目には異変のない体,病気も進行度もこちらからわざわざ言うわけでなし,同室者が責められる理由は何もない。さすがに分別を働かせ,「みなさん,そうおっしゃるんですよ。でもルンルンというわけでもないんですよ」と,お茶を濁すしかない。そして,すぐに視線を窓のほうに移し,「ああ,緑が,ほらあんなに濃くなってますよ」と話題を別の方向にそらす。正直に皮肉を言っていたら,部屋に険のある雰囲気が残る。当たり障りのない会話で部屋に和やかさが漂えば,それで良し。年配者も,言うに言われぬ苦痛があるのだろう。
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