特集 ‘気づき’のプロセスを探る
‘私’のなかでの気づき
杉戸 恵理子
1,2
1日本看護協会研修学校
2現在愛知県立看護短期大学
pp.779-786
発行日 1977年8月1日
Published Date 1977/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661922498
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はじめに
過去3年間,看護の行為を起こしている私の中では,私の行為,私の話す言葉の中に,常に私が存在していない,という感じがしていた.しかし,自分の行為や言葉が正当と認められれば,自分の行っていることに自信を持つことができ,私が存在していないという感じを払いのけることができるのではないかと思っていた.その思いから,私は私の行為に対する周りの人たちの評価,周りの人たちの私に対する言葉や行為を,自分が正当と認められている,というように意味づけることによって安心感を得ようとしていた.しかし,自分が正当と認められるようにしても自分の行っている行為のなかに私が存在していない,という感じは消えることがなく,なんとか消したい,といつも強く思っていた.
そして,研修学校に入学して3か月が過ぎようとしたころから,自分が今まで感じてきたこの自分が存在していないという感じは,どうしていつも私にぴったりくっついているのだろうか,また,常に私の思いや考え・行動が,私を抑制するのはどうしてか,と考えるようになった.それは,日常生活のなかの私のあり方,看護行為をしている時の私のあり方,過去から現在に至るまでの私自身に対する問いとして,1つ1つ発せられていった.
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