特集 医療過誤・看護事故から学ぶ
娘からの宿題—医療過誤で娘を失った母親の立場から
長尾 クニ子
pp.678-683
発行日 1988年7月1日
Published Date 1988/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661922035
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
命運を分けた搬送先の選択
昭和57年6月7日──今から6年前の夕方,愛媛県宇和島市でパン屋をしていた私は,神戸からの電話を受けました.神戸の会社で働いていた娘の恭子が交通事故に遇って救急病院に運ばれた,という連絡です.娘の容体は案じるほどのものではない,という医師の診断結果を病院に駆けつけた私の妹が知らせてきたのです.
念のために後で聞いた事故現場での模様を記しますと,神戸市のある交差点で娘の乗っていた南から北進中の乗用車に,西から東進中の車が衝突.前車に同乗していた娘たち2名が負傷.事故現場にいた通行人の通報で数分後に救急車が到着しました.救急隊員は娘たちを立たせて歩かせてみましたが,娘は痛くて座り込みました.2人は神戸市に新設されたばかりの市民病院に搬送してほしいと頼んだのですが,個人経営の救急指定診療所に運ばれました.自分で病院を選べなかったということが娘にとって第一の不幸でした.この事実が救急体制への疑問につながったのです.
Copyright © 1988, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.