連載 高齢化社会の福祉と医療を考える・4
‘生活’の場としての‘老人ボーム’とは[2]
木下 康仁
1
1立教大学社会学部
pp.1414-1417
発行日 1986年12月1日
Published Date 1986/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921598
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前回は,最近頻繁に言われている‘老人ホームを生活の場に’という主張の意味をややマクロ的視点から考えた.要点をまとめると次のようになる.
まず,この主張が今の時期に声高に叫ばれる背景には,老人ホームが収容の場になっていることを正面から認め,改善を図ろうとする決意があるはずである.したがって,‘生活’という言葉は‘収容’の対極にあるものとして位置づけられる.老人ホームはその特殊性にもかかわらず,そこに住む老人相互の関係も彼らと職員の関係も一種の社会的取り決めを起点として成立しているわけだから,彼らの関係はすべて社会的関係である.社会的場であり家族ではないのだから,老人ホームは擬似家族化を志向すべきではない.生活を内実化するために私たちが獲得すべき概念は‘コミュニティ’以外になく,コミュニティにおける人々の生活は,生存に必要な基本的欲求と社会的刺激・人間の関係性・自己存在の意味といった社会的欲求が共に充足されなければならない.つまり,基本的欲求を満たすだけのケアでは‘生活’にはならない.だいたいこのように考えたのであった.
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