特集 災害!その時ナースは—看護と防災体制
災害対策に終わりはない—長崎大水害を体験して
三原 茂
1
1長崎市立市民病院
pp.1374-1382
発行日 1986年12月1日
Published Date 1986/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921590
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昔から‘災害は忘れた頃にやって来る’と言われている.また‘備えあれば憂いなし’とも言われてきた.7.23長崎大水害の日から4年,あの惨禍の忌わしい思い出は消すことはできないが,その貴重な体験をもとにして,災害対策のハード面はいかに改善されたのか,そしてソフト面ではどのような対応を講ずることが可能なのか,考えてみることは重要であろう.惨禍の爪あとと復旧の足取りを追いながら問題点を考えてみたい.
1982年7月23日夜,長崎市は想像を絶する集中豪雨により,死者258名,行方不明4名,重軽傷者754名,被害総額2119億を超えるという大惨禍を受けた.市民のための基幹病院である長崎市立市民病院も,浸水のためその中枢部分を言され診療機能が完全に失われた.これは全く予期していなかった事態であり,その後の診療体制に大きな障害を与え,また貴重な教訓となった.病院の被害総額約11億円,病院機能が完全に旧に復するまでにほぼ1年を要し,その後の運営にも少なからぬ影響を与えた.以下経過の概要である.
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