私の經驗
九州の水害
南 熊太
1
1久留米大眼科
pp.1070-1071
発行日 1953年12月15日
Published Date 1953/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201702
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秋冷の候,益々御健勝の御事と存じ上げます。先般の久留米地方大水害並に之に引つゞきての家族全員の病氣に際しましては,早速御同情ある御慰問や御心盡しの御芳志を辱うしました事を身に沁みて有難く心から厚く御禮申し上げます。久留米地方の水害は想像以上にひどいとよく言われますが,そのひどい水害を受けました久留米地方の中で,特に最もひどく,且つ最も長時間浸水していましたのが,久留米大學醫學部,附屬病院及び私の住む大學住宅のあります旭町でありまして,住宅は一瞬にして水没と言う状態で,生命からがら避難しましたが家は五日間浸水のまゝにして,家屋半壊,家財一部流失物置は流失しました。而して減水後も,長期に亙る雨続きと上水道の破壊斷水の爲め,跡整理困難を極め,此の間水害に關連して,家族全員,久留米地方筑後川に特有の日本住血吸虫の濃厚感染を受け,最高41度5分に及ぶ如き高熱40日間以上に及び,重篤な症状を呈し,經過中幾度か死線を越えて九月に入るに及び,ようやく危機を脱し,愁眉を開き得る状態とはなりましたが,今尚ほ全員加療中にして,特に2人は尚ほ入院治療中であります。かゝる状態でありますので早く御禮状差上ぐべき處心ならずも延引致しまして,誠に申譯無き次第でありますが,御許し下さいます樣御願い申し上げます。
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