南の島での保健医療 インドネシアで保健婦として働いて・12(最終回)
海外医療協力のすすめ
塚本 香代美
1
1日本キリスト教海外医療協力会
pp.1429
発行日 1985年12月1日
Published Date 1985/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921280
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私が海外ワーカーを志したのは高校生の暁元キリスト教海外医療協力会ワーカー・岩村昇医師の講演を聞いてからです.シュバイツアーは愛の人と呼ばれ、多くの人に博愛について考えさせる人ですが,私が彼について心をひかれたのは,自分の人生を,30歳までは自分自身の成長のため,それ以後は入のために用いようと言ったという点です.しかし私自身について考えてみると,まだまだすべての面で足りないことや,欲望が多く,人に捧げられるほどのものを持ち得ていないと思います.
我々日本人にとって英語を話すことは難しいことですが,なんといっても英語は世界中で通用する言葉ですから,知っておいて損はありません.それどころか外国人の中で働く時には,完全に使えれば使えるほど仕事に自信が持てることになります.
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