ベッドサイドの看護
在宅で死を迎えたN氏とのかかわりを通して学んだこと
後藤 陽子
1
1国立国府台病院神経内科病棟
pp.58-62
発行日 1984年1月1日
Published Date 1984/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661920673
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はじめに
在宅療養という言葉を耳にして久しくなるが,日本人には昔から人生の終焉は自宅の畳の上で迎えるのが自然なことであるという感覚があったと思う.社会情勢の変化などにより,この当然のことが当然でなくなり,今また改めて在宅療養が叫ばれているのはなぜなのだろうか.
1981年4月に職場が替わった後,それまであまり経験したことのない患者の転院問題に直面したが,自分で自分のことが何ひとつできず,コミュニケーションにも障害を持つN氏が,家族の手を離れ,自宅から遠く離れた病院に転院するかもしれないことに対して割り切れない気持ちを抱き,自宅に連れて帰ることをすすめてみた.色々な困難はあったが,家族に在宅療養を受け入れてもらうことができ,胃瘻を造設し気管切開をした状態のN氏を最後まで自宅で看とることができた.
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