シンポジウム
Shirodkar氏の来遊を迎えて感あり
安藤 畫一
pp.1135
発行日 1960年12月10日
Published Date 1960/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409202339
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先達東大の小林教授からの電話で,東大病院の集会場で催されたインド・ボンベイのShirodkar氏の講演を聴くことができた。同氏の名は昨年あたりから知られており,私の病院では白塚の日本名で通つている。その人に直接会いその考案した手術の講演を聴き映画を見ることのできたのは非常に嬉しかつた。現に大学を引退した教授と云うのに,小柄ではあるが元気活溌で,えらそうに気どらぬ感じのよい人物であるのに好感が持たれた。その考案した手術式は,現に周知でかく云う筆者もよく真似ているので,講演そのものに特別の感興はわかなかつたが,考案者自らが説明すると云う点が嬉しいのであつた。但し縫合材料としての患者の大腿筋膜線条を,小切開から採取する手技は「よい思いつき」と感じたと同時に,筋膜の代用となり得る縫合材料がありそうなものだと思つた。また縫合糸を結紮する時に頚管内にHegar氏桿の如きものを挿置していなかつたのはドウカと思つた。
いずれにするも,アメリカ・シカゴのLasch氏による峡部縫合法(isthmorrhaphy)と,Shirodkarの巾着紐手術(Pursstring operation)との出現は,それまで等閑視していた子宮峡の機能,殊に妊娠時機能に,頂聞の一針を打ちこんだもので,峡部無力症(isthmic incom—petency),峡部開口症(isthmic gaping)などの術語が産んだのである。
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