プロフィル
〈星野貢〉透析の開拓期から透析看護に取り組む—「なんとかして患者さんの自己管理能力を向上させたい」
吉
pp.825
発行日 1982年7月1日
Published Date 1982/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919612
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高校の商業科を出て東京に就職したが、胃をこわしてしまい、故郷の小出病院に入院して静養した。丁度その時その病院で精神科が開棟し、退院後「人の世話をするのは好きだったし」看護助手に採用してもらったのが看護職になるきっかけとなる。「相手の人は大人の人でしたが、精神科の患者さんは純朴で、ケアすればするほど味がでてきて、おもしろかったですね」
仕事はおもしろかったが、なにせ無資格だったので何をするにも制限があった。そこで資格をとるべく小出の准看学院に入ったが、新潟大学付属の高等看護学校があることを知り入学した。その当時は男子寮などなかったから、精神科で倉庫みたいに使っている場所で寝泊まりしたり、風呂はボイラー室のを使わせてもらったり、洗濯は精神科の患者さんと一緒にしたりして、少々大変なこともあったが、資格をとり、勉強したいという思いで少しも苦にはならなかった。
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